2026.05.02 お役立ち情報, 中央区エリア特集
人形町の「甘酒横丁」と呼ばれるエリアには、戦災を免れたことで江戸〜昭和初期創業の老舗が密度として残る、東京でも稀有な食文化圏が広がっています。
京菓子・人形焼・鯛焼き・煎餅・豆腐・ほうじ茶・純喫茶——これらすべてのジャンルが、徒歩5分圏内に「現役の老舗」として揃って現存している街は、東京を見渡してもそう多くありません。
本記事では、当社(nodomaru)の不動産仲介担当が、お客様を人形町にご案内するときに必ずお勧めしている江戸〜大正創業の老舗グルメ8店を、散策ルートに沿って正直にお伝えします。「下町文化を体感する半日散歩」として、人形町の魅力を肌で感じていただけます。
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そもそも「甘酒横丁」という名前は、明治末から戦後にかけてこの通りにあった甘酒屋「尾張屋」が由来とされています。尾張屋廃業後、地域の食文化を絶やすまいと、3代続く豆腐店「双葉」が甘酒販売を引き継ぎ、現在に至ります。
つまり、「甘酒横丁の名を継ぐ豆腐店・双葉」が、このエリアの食文化の核。本記事も、双葉を起点に散策する形でご紹介します。
1907年(明治40年)、創業者・田中篠作が故郷山梨にちなみ「甲州屋」として深川で創業。戦後1948年に人形町に移転し、下町で4代続く老舗豆腐店です。
店裏では100年以上稼働する豆腐工房が現役。素材は国産大豆「オオスズ」と天然にがり。そして冒頭で触れた通り、甘酒横丁の名の由来となった甘酒屋「尾張屋」廃業後、3代目が地域文化を絶やすまいと甘酒販売を引き継いだ、本記事のテーマの中核を担う一軒です。
「甘酒横丁を歩く」なら、まずここで甘酒を一杯飲んで街を体感するのが正解。豆乳ドーナツを片手に、ジャンボがんもをお土産に。1階の物販だけでなく、2階では豆腐料理の御膳もいただけます。
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本記事最古の老舗。1576年(天正4年)、織田信長が安土城を築き始めた年、京都三条河原町で創業した京菓子の名門です。州浜菓子を御所に納め「御州濱司」の称号を授かりました。屋号は寛政の三奇傑・高山彦九郎が三条橋の茶店に立ち寄った逸話に由来します。
戦災を免れた人形町に1954年(昭和29年)に出店。親子孫三代の家族職人だけで製造販売を続け、当代は二十三代目。450年以上の歴史を持つ京菓子の技を、人形町で味わえる稀有な一軒です。
看板の「虎家㐂(とらやき)」は、秘伝の餡を包んだ大判焼きの逸品。京菓子の世界で「御所御用」の称号を持つ店は数えるほど。手土産や接待での贈答には抜群の格を持ちます。
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1877年(明治10年)、初代・三原田宗元が福井県若狭から上京し蛎殻町で創業、明治20年に水天宮前交差点へ移転。「情けありまの水天宮」の伝で五の日のみ一般参拝が許された江戸の名残から、それ以外の日の参拝客に水天宮の許可を得てお守りを分けていた逸話が、看板「御守最中」の由来です。
戦災を免れた人形町で150年近く続き、2022年に5代目が継承。水天宮との縁が深く、安産祈願参拝後の手土産としても定番の一軒です。
水天宮前交差点の角という抜群の立地。塩せんべいはドイツ岩塩+伯方の塩で焼く本格派。お土産用の御守最中・どら焼を片手に、水天宮参拝とセットで楽しむのが王道コースです。
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1884年(明治17年)、日本橋蛎殻町にて創業。明治40年代に現在地に移転。看板「黄金芋(こがねいも)」は明治30年代初頭に考案され、創業当初から商標登録されている逸品です。
白いんげん豆と卵黄を練り合わせた黄身餡を、ニッキで包んだ芋型の菓子。向田邦子のエッセイ『女の人差し指』にも登場するなど、多くの文人に愛されてきました。1日2,000個以上を手作りし、座売りの伝統スタイルを今も継承しています。
ニッキ(シナモン)の香りが鼻に抜ける独特の風味は、他では味わえない壽堂ならでは。文学好きの方への手土産にも最適です。
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1907年(明治40年)創業。初代・藤井貞三が乾物店として始め、人形町の名物を作りたいと菓子職人・吉本民生と共に、大阪の釣鐘形焼きまんじゅうをヒントに七福神型の焼きまんじゅうを開発、後に「人形焼」と命名した”人形焼発祥”を主張する店です。
1965年に現在地で人形焼専門店として開店し、創業以来手焼き・無添加を守り続け現在4代目。「6つの神様+お客様の笑顔で七福神」が店のコンセプトです。
人形町の代名詞「人形焼」のルーツを味わえる店。手焼き・無添加にこだわった七福神型の焼きまんじゅうは、観光客向けの量産品とは別物の味わいです。火曜・土曜限定の「戦時焼」は戦車など9種の型で焼かれるレアアイテム。
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1914年(大正3年)創業以来、110年以上ほうじ茶一筋。甘酒横丁の入口に店を構え、店頭の焙煎機で毎日自家焙煎を続け、通りには常に香ばしい香りが漂います。全国100種以上の茶葉から厳選し、毎年仕入先を変える徹底ぶり。3代目・渋谷仁志氏が10年ほど前から2階で本格甘味処を展開し、『孤独のグルメ』にも登場しました。
甘酒横丁に入る前に、香りで街を感じられる入口の店。ほうじ茶ソフトクリームは食べ歩きの定番。2階の甘味処では本格的なほうじ茶パフェやぜんざいも。
※2階甘味処は2025年7月時点で休業中との情報あり。訪問前に電話確認をおすすめします。
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1916年(大正5年)創業。創業者は長野県の豪農(大名が泊まる本陣)出身で「柳屋」はその屋号にちなみます。麻布十番「浪花屋」、四谷「わかば」と並ぶ”東京三大たい焼き”の一つとして、たい焼き愛好家には聖地とされる店です。
鋳物の金型で一匹ずつ焼き上げる「一丁焼き(天然もの)」を創業以来貫き、現在3代目。北海道十勝産小豆の自家製粒あんを薄皮パリパリの皮で包みます。食べログ百名店2023選出。
「東京三大たい焼き」の称号は伊達ではなく、薄皮パリパリの食感と粒あんの満足度は別格。甘酒横丁を歩きながら一匹頬張る体験は、人形町散策の象徴的シーンです。行列必至なので時間に余裕を持って訪問を。
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1919年(大正8年)8月8日、明治政府の体質改善政策で広まった「ミルクホール」として創業。安産祈願の水天宮にちなみ「快く生れる」の意の「快生軒」と命名、二代目が禅語「喫茶去(お茶でも召し上がれ)」を冠しました。
陶製サモワール、赤い椅子、ノリタケ食器のレトロな佇まいを今も残し、向田邦子が贔屓にし、ママレードトーストを愛したエピソードも有名。TVドラマ『新参者』のロケ地としても登場しました。
甘酒横丁散策の締めくくりに最適。100年以上前のミルクホールの空気感をそのまま残す純喫茶は、東京でも貴重な存在です。浅草ペリカンのパンを使ったママレードトーストは、向田邦子ファンなら必ず味わいたい一品。
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| 創業年 | 元号 | 店名 | ジャンル | 最寄駅・徒歩 |
|---|---|---|---|---|
| 1576 | 天正4年(人形町出店1954) | 玉英堂彦九郎 | 京菓子 | 人形町1分 |
| 1877 | 明治10年 | 三原堂本店 | 和菓子・煎餅 | 水天宮前0分 |
| 1884 | 明治17年 | 壽堂 | 京菓子(黄金芋) | 水天宮前1分 |
| 1907 | 明治40年 | 双葉 | 豆腐・甘酒 | 人形町1分 |
| 1907 | 明治40年 | 板倉屋 | 人形焼 | 人形町1分 |
| 1914 | 大正3年 | 森乃園 | ほうじ茶 | 人形町30秒 |
| 1916 | 大正5年 | 柳屋 | たい焼き | 人形町2分 |
| 1919 | 大正8年 | 喫茶去 快生軒 | 純喫茶 | 人形町0〜1分 |
8店を効率よく巡る散策ルートをご紹介します。水天宮前駅起点・所要約2時間(食べ歩き含む)。江戸→明治→大正の時間旅行が楽しめます。
徒歩約20分の縦断ルート、食べ歩きで2時間。これだけ密度の高い老舗散策ができるエリアは、東京でも稀有です。
京菓子・人形焼・鯛焼き・煎餅・豆腐・ほうじ茶・純喫茶——10ジャンルを超える江戸〜大正の老舗が、徒歩5分圏内に「現役」で揃っている。これは戦災を免れた人形町ならではの奇跡的な食文化圏です。
明治座と水天宮を核に、芸妓・歌舞伎役者・参拝客の食文化が積層した歴史の必然。観光地化されすぎず、地元民にも愛され続けている本物の老舗ばかり。
人形町に住むということは、こうした「江戸の時間軸」を生活圏に持つということ。日々の散歩で老舗を巡れる暮らしは、他の街では得難い豊かさがあります。
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